作文練習

真理を記載しています。

所感

「何のために生きているのか」と問われると大概の人は答えに窮する。或いはそれらしい答えを並べることが出来る人もいるのだろうが、しかしそれは問われたから答えるのであって、常に生きる理由を掲げながら生と死の狭間を歩いているわけではない。多くの人々は無意識的に生きている。生きていたいとか死にたくないとかすら考えずに生きている。

だから、対処に困ってしまう。目の前に、生きている意味がないからという理由で自殺しようとしている人がいるとしたら、何と言葉をかければよいのだろう。その人は言うだろう、「成し遂げたいことがあるわけでもない」「この先の人生で楽しい・嬉しいことよりも辛い・苦しいことの方が多そうだ」「生きていたい訳でもないのに生きていると他人に迷惑がかかる」など。

私なんかは、なまじ共感できてしまう。立ち止まって考えてみるとどこにも積極的に生を延長していく理由なんてないように思えてしまう。その人に対して人生の素晴らしさを説くことなどできず、口を開いても虚無が湧き出てくるだけだ。

私は私の無力に涙を流す。その人の思想・思考には共感するばかりで一筋の反論すら思いつかない。しかしただ一点だけ異なる、生への理由なき渇望、その一点を説明することが出来ない。その無力。

きっと、だからかける言葉なんて元からないのだろう。そこで必要なのは論理や言葉ではなく経験、幸せな記憶なのであろう。外在的な動機付けなんてものはいつだって後付けの嘘で、内在的な衝動、過去の豊富な幸福の経験から生への肯定を得た人間たちが並べる空虚な出まかせに過ぎない。

私は幸福に人生を送ってきて、だから結論は決まっていて、たとえ手持ちのカードが同じだったとしても、その人とは辿り着く先が異なってしまう。それが分かっているから立ち尽くしてしまう。紙一重でいて大きな隔たりを生んでしまうこの差異に呆然としてしまう。そしてこれは同じカードを持ってすらいない人間たちには理解されないのだろうと思う。