浪人して良かった
私は大学受験に於いて一度浪人した。
現役時代は本命校と滑り止め校の二つのみを受験し、滑り止め校には合格していたが、悩んだ末*1浪人して再び本命校を受験するという選択を採った。
その選択をして本当に良かったと今では思っている。勿論浪人当時は苦しかったが、結果的に本命校に合格して通うことが出来たし、もし滑り止め校に進学していたら一生そのことを引きずって生きる人生であったことだろう。大学に入ってからも、一浪していたおかげで、現役合格していった高校の友人等から一年先輩として様々な情報を仕入れることが出来た。何より一度目指した目標を諦めずに貫き通すという得難い経験が出来た。私のような人間が現役合格していたら、碌に挫折も経験しないまま社会人となって僅かな失敗からも立ち直れないような人間になっていただろう。浪人している間に抱いた様々な鬱屈とした感情も現在の人格形成に役立っており、本当に浪人していて良かったと思う。
上記のような浪人を賛美するような言説が浪人時代は嫌いだった。今でも嫌いだが当事者としての重みが当時にはあったように思われる。当時は直感的に抱いていたその重みを敢えて今言語化するのであれば、(せめて)未来の自分には自分の抱いている苦しみに共感してほしいというところだろう。
浪人期の苦しみの一つとして、自身の抱いている辛さを誰にも共感してもらえないという孤独があった*2。私は予備校に通っていたしそこに高校の友人も沢山いたので共感してもらえる人間は十分にいるように思われるが、浪人という選択に対してどのような思いを抱いているかはかなり個人差があり、人によっては浪人前提で受験勉強をしていたなどと宣うようなものもおり、自身の十字架は自身で背負うしかないということに浪人してから気付かされた。
そんな人間に対して、「その苦しみは後で報われるのは大丈夫だよ」というのは慰めにならない。寧ろ裏切りとも言うべき所業であろう。そもそも何をしようとどんな言葉をかけようと彼を慰めることは出来ない。彼は受験が終わるまで何があっても背負った十字架から解き放たれることはないのだ。
私にできることは、せめてその苦しみをなかったことにしないこと、苦しみを嫌なものだと認めてあげることだけだろう。だから当時の私は、未来の私と約束した。
「今後この浪人期の苦しみを決して肯定しない」と。
その約束を私は今でも守っている。