作文練習

真理を記載しています。

好きなもの

「引っ越すとしたらどんなところが良い?」と訊かれたら「ベランダから空が見えるところ」と答える。

「山登ってて何が楽しいの?」と訊かれたら「空が見えること」と答える。

 

私は空に焦がれる。

 

雲一つない青空が好きだ。草原的なところで寝っ転がりながら青空を眺められたら良いなと思う。都内住みであることとか人目とか気温とかの影響で中々実行されることはなけれど。

雲がいくつか浮かんでいる空も良い。雲の形の変化を追っていく時間よりも幸せなことは人生の中でそうそう無いのではないかと思ってしまう。

夕暮れの空の何と美しいことか。きっと年に何百回と晴れた夕暮れを拝める日があるのだろうけど実際に見るのは年に十数回くらいしかないことが哀しい。その中でも時々、気温とか湿度が影響するのか知らないけど、どういう訳か格段に夕焼けの美しい日がある。都内にいるとあのグラデーションを完全に見渡すことが難しい。しかし、夕焼けの陰になっている民家が夕焼けを際立たせている時もある。そんな時は立ち止まってそれを眺めてしまうのだが、やはり人目を気にして暫くしたら立ち去ってしまう。

黄昏時を過ぎると夜が訪れる。しかしその直前の一瞬、日は完全に沈んでいるが迫りくる宵闇に空が完全には侵されていない時間がある。昼間の青空とはまた違った、藍に近いようなその色に染まった空、夕焼けを見ながら夕食の買い出しに行くとスーパーから出てきた時に不意に出くわすその空はしかし時に夕焼けを凌ぐほどの郷愁を私の胸の裡に生じさせる。

夜空は大して好きではない。

朝焼けは、現代人の活動時間的に夕焼けと比べて見るのが難しい。さりとて朝焼けには朝焼けにしかない得も言われぬ神々しさが宿っている。それはもしかしたらやはり気象的な問題で夕焼けとは見え方が違うのかもしれないし、或いは早朝の静寂に包まれる街の中で自分独りが眺めているという優越感に浸れるからかもしれない。しかし段々と明るくなっていくのは夕焼けと比べて風情がなく、日の出を迎えた瞬間から急激に冷めてしまうようなところがある。

 

山頂から眺める空にはまた違った良さがある。周囲の状況にも依るが、山頂から眺める山は地上からのそれに比べて圧倒的に広い。自分よりも下の方向に空が広がっているという状況は平地では得られない。どの方向を見ても空が山の端に縁どられているのも良い。

あまり海には寄り付かない人生を送ってきたが、海と空の境も良いと最近気付いた。特に理由はないがとても良い。

 

現状私の家のベランダからは通り向かいの建物しか見ることが出来ない。春の晴れた心地よい風の吹く日などはベランダで空を見ながら読書など出来ればどんなに良いかと思ってしまう。何気なく過ごした一日にふと時計を見て黄昏時であることに気付いた時は思わずベランダに出てしまうが、西日に照らされたビルが見えるだけだ。

時々たまらなく夕空を眺めたくなる日は自転車を駆って川へと出向く。川は都会の中で数少ない見渡す限り建物のない空間なのだ。スマホで日没時刻を調べてから所要時間から逆算して家を出る。時々しか通らないこの道を空模様を気にしながら通り抜けていく。川に着いて、暫く土手沿いに自転車を走らせているとやがて求めていたものが訪れる。自転車を停めて夕空を眺める。初めは太陽の周りだけ橙に染まっているのが、やがて横へ長く波及していく。その様を見ようと視線を動かしていくと川沿いにある工場のような施設やどこへ繋がっているかよく分からない高速道路が夕焼けの陰となって現れている。それらを眺めてから帰路に就く。