作文練習

真理を記載しています。

社会性の喪失

人間は社会的な生き物である。そんなことはない、という人は社会性が足りていないことを自覚しよう。人間は社会的な生き物なのである。

 

人間社会を成り立たせるための一つの大きな原則として、「自分がされて嫌なことは他人にしない」という子供に言い聞かせるようなおまじないがある。殴られたくないから殴らないし、盗まれたくないから盗まない(そうしないことによってそうされないと信じているという意味ではない)。それを明文化したのが法律という体系なのであろう(刑罰というのもこの原則に乗っかってる気がするが、むしろ「そうしないことによってそうされない」という方に近いか)。

 

大人になる過程で、つまり社会性を叩き込まれる道程で、人間はこの原則を内面化させられていく。そしてそのために同時に「私と他人は同じ」という思想も植えつけられる。殴られて快感を覚える人間のことを考慮していたら例の原則が成り立たなくなってしまうからだ。「私が痛い」ならば「他人も痛い」、「私は痛いのが嫌」ならば「他人も痛いのが嫌」、よって「他人を殴ってはいけません」となるわけだ。

しかしこれが問題になる。正確に言うと、哲学をする上で問題になる、というだけなので大した問題ではないが。

 

哲学の原動力は「自身(世界)が存在することへの驚き」とも言われる。リンゴや鉛筆が「在る」のと「自分が在る」のとでは全く異なることに驚き、しかしその特別性がどこから来るのだろうと探求へと駆り立てられていく(そして「我思う故に我あり」とか言い出してしまう)。「自身の存在」の「特別性」が重要なのだ。当然「私と他人は同じ」などという思想とは真っ向から食い違ってしまう。

哲学を始める際の(根本的な)第一ステップは実はここなのかなと感じている。幼少の頃から植えつけられてきた思想を疑い、かけていた色眼鏡の存在に気付くことから哲学者としての道程が始まる。そしてこれは同時に社会性の喪失の始まりでもあるということなのだ。