作文練習

真理を記載しています。

ホームシック

思えば私は結構ホームシックになるタイプなのだと、旅行の度に思い知らされる。日帰りの外出については何も思わないし、泊りの旅行でも日中にはそれを忘れている。しかし夜が近付くにつれ、自分は今日家に帰らないのだと強く意識され、どことなく不安で、浮ついた、地に足のつかない気持ちになる。宿に着くと、しかし少し安心してしまう。荷物を置いて、風呂に入って、ベッドに横たわると、僅かに日常を取り戻せたような感覚を得る。とはいえこれが仮初のものであるという意識は消えない。望郷の火が消えることはないのだ。過去に数度、二週間近くに亘って旅行をしたことがあったが、その間には幾度となく帰宅を果たしたいという思いに苛まれ、旅行の最終日には漸く帰れるのかという安堵が私を支配した。

私は現在独り暮らしをしていて、数年前に二十余年を過ごした実家を離れたという状況だ。無論、現在は下宿が自宅として馴染んでおり、旅行から下宿に戻ると安堵するのだが、当然実家から下宿への引っ越し当初は、謂わば知らない土地に旅行した先の宿のようなもので、不安で仕方がない、そうであって然るべきなのに、不思議と引っ越しの初日から私はその下宿を自宅として認識していた。自宅に帰りたいという思いは、引っ越し初日から一度も抱いたことがない、私の中でその日に「自宅」が下宿へと切り替わっていたから。

私は引っ越しの段取りがあまり上手ではなかったため、通販で買った家電や家具などの到着日がまちまちで、少なくとも引っ越し初日には炊飯器も冷蔵庫もなければベッドフレームもなく、カーテンもレースカーテンしかないような部屋だった。トイレも風呂も如何にも下宿に備え付けのようなもので、幸いなことに汚らしいというような類の外見ではなかったにせよ、それらに馴染むのには時間を要した。しかし、それらのことと、私がそこを自宅と認識するかどうかは全く関係がなかったようだ。

結局私が何を以て自宅を認識するかということに関して、私はまだ答えを持っておらず、故にここで言及することもないのだが、一つ気になっていることがある。私が実家を出る時、私は当時の私の部屋をほぼ完全に何もない状況に戻しており、故にその場所は現在別の用途があり、つまり私は実家を出てから一度も実家に泊まっていないのだ。

今の私が実家に泊まったらどう思うのだろうか。答えは推測できても検証しない方が良いのだろうな、と思っている。