虚構と二重思考
ディズニーランドとディズニーシーをひっくるめて言いたい時、ディズニーリゾートって言ってみるけどなんかホテルとかも含まれている感じがしてしまって、ただ両パークだけを指したいのに…となってしまう。
世の中にはディズニーランド・ディズニーシーを楽しめていない人間が結構な割合で存在していて、しかし家族・友人・恋人に連れられて仕方なく徘徊しているらしい。
自分がパーク内でそんな感じの人間を見かけると、興味ないなら帰って混雑率の緩和に貢献してくれ、と思いそうになるが情状酌量の余地はあるのでここはグッとこらえてそういう人たちがどうしたらディズニーランド・ディズニーシーを楽しめるようになるのか考えてみよう。
仮想的として過去の私を設定する。かくいう私も最近になってようやくディズニーランド・ディズニーシーを楽しめるようになった人間であるのだ。
ディズニーランド・ディズニーシーを楽しむに当たって重要になるのがストーリーライド、則ち原作のストーリをなぞるのがメインの乗り物系のアトラクションである。
遊園地といえばジェットコースターやコーヒーカップといった物理的な動きで感情を揺さぶるものがメインだと考えている人間に対して、ストーリーライドは酷く退屈である。ストーリーライド中は緩慢な動きで人形感丸出しの人形が同じ動きを繰り返しているのを眺めるだけなのだから。
しかし、こういった人たちがまず認識を改めるべきはここで、ディズニーランド・ディズニーシーはテーマパークなのだ。テーマパークは創作を楽しむものであると肝に銘じておかなくてはならない。
創作を楽しむとはどういうことかというと、つまり映画鑑賞と同列に考えろ、ということである。近年は4DXとか言って上映中に客席を揺さぶってくるようなものも存在しているが、しかしそれを楽しみに映画館へ向かったら楽しめないのは当然だと思ってほしい。
このマインドを持つことによって、「所詮作り物の人形でしょ」という批判は批判になっていないことが分かる。映画の内容を現実だと思っている人がいないように、ライドの内容を現実だと思っている人間は存在しない。寧ろそれらを作り物と認識しているからこそ楽しめるのだ。
永田敬介という芸人がネタ*1の中で「パーク内のミッキーは中身が人間の偽物だ。もし本物だと本当に信じているのなら正気ではいられない。」*2というようなことを述べている。もし虚構の存在であるミッキーマウスが真に現前しているとしたら握手して記念撮影している場合ではない。それが偽物だと理解しているから自身に内在する虚構世界の住人を投影できるのだ。
私はストーリーライドを楽しんでいるが、しかし同時にライド内の演出の方法を探っている。アナとエルサのフローズンジャーニーで氷の階段が生み出されるシーンがどのように実現されているかを解明している。
この行為は魔法を否定する夢のない所業だろうか?しかし、私にとって魔法などというものが現実に起こりえているとしたら安心してライドを楽しむことが出来ない。魔法のような現象を現前せしめている技術を解き明かし、その並々ならぬ努力に感銘を受けつつ、その上で魔法に魅せられるという二重思考を行っているのだ。*3
それ故にディズニーランド・ディズニーシーを冷めた目で見ている人間にこそ楽しむチャンスがある。その思考の上に創作を楽しむ心を乗せてあげるだけで良いのだ。
まとめると、ストーリーライドの楽しみ方は簡単だ。ストーリーを楽しめ。キャラに共感して光景に感動しろ。
それが出来ればパーク全体も楽しめる。それぞれのエリアの設定を読み込んで細部の作りこみを見つけろ。虚構のキャラクターを演じきっているアクターを畏れ敬え。
そうすることで初めてテーマパークという現実の依代に夢の国という虚構を降ろすことが出来る。